すごい人のオーラはどこからくるのか【ふつうの人との違いを解説】

こんにちは、KOYA@ソリンドです。

先日、僕の友人の中で最も努力家な友人と8年ぶりに会い、飲んできました。

 

それを踏まえて、下記のようなツイートをしました。

 

 

今空手学生時代全国2位で日本代表のうちの一人と8年ぶりに会い、食事していたのですが、一言一言が重い。そして、目力が強い。

わりと僕も一日一日をベストを尽くしつつ生きてきたつもりだけれど、彼はもっと先を行っていた。
僕はまだまだ甘ちゃんで、もっともっと大きくならないとと知りました。

 

根っからの空手バカで、空手しかなかった彼は、自分と向き合い、誰よりも深く空手と向き合い、結果、突き抜けました。

そして、僕が人生であってきた他の誰よりも、眼力が強く、一言一言に重みのある、オーラのある人間に成長していました。

 

今回は、彼のようなオーラのある人間と、そうでない人間は何が根本的に違うのかということについて、解説していきます。

 

ブログ運用のスポットコンサル

オーラの正体は、「学歴」ではない

 

僕の学生時代の研究室の指導教員はTOEIC980点とるような、東大出身の先生でした。

部活の顧問も東大出身の先生で、両隣の研究室も両方東大の先生でした。

 

僕自身も首都圏の国立大理系ですし、比較的「高学歴」と呼ばれる人間は目にしています。

 

東大出身でも、かなわないほどのオーラ

 

そんなわけで、東大出身の人がどんな感じなのかは知ってる僕ですが、相手にならないほど友人のオーラはずば抜けていました。

 

 東大出身の方々のオーラ(研究者)

 

  • ぶっちゃけオーラはない。けど、目は死んでなく、人生に目標を持っている
  • なかなかしぶとい。多少の困難だと、動じない
  • 基礎的な計算は、脳内で終了
  • 目力や、言葉の重みで、圧倒されるようなことはない

 

 

 空手を極めし友人のオーラ

 

  • 目力が強く、たぶん、世の中の99%の人は会話してたら辛くなると思う
  • 一言一言が重く、ちゃらんぽらんの人だったら、やっぱり話ししてて辛くなると思う

 

 

わりと僕は人生ゲームを頑張ってきたつもりで、だいたいの人だと、「何考えているのかわからない」や、「怖い」と言われ、圧倒されるようなことはないのですが、ひさひざにあった彼には、「人生の真剣さ」で押される気がしました。

 

下記ツイートのとおり。

 

 

そもそも、東大に入るのは毎年3,000人程できますが、空手で世界ランクを持って、1年間の半分を海外で過ごすような生活になる選手は、もっと倍率低いですよね。

 

「眼力」と」言葉の重み」はどこからきたのか

 

結局、「人生ゲームへの真剣さ」からきているのではないかと思います。

 

「辞めない者」が最後は勝つ

 

僕は、中学生時代、彼と共に都道府県の強化選手であり、小学生の頃から毎年同じ選手が上位入賞するのを互いに確認しあって、大きくなってきました。

 

しかし、僕は、「仕事としての空手」を考えたときに、資本主義ゲームでは努力が報われにくい領域だと思い、辞めました。

聞いた話だと、僕だけでなく、もはや当時の都道府県ベスト8のうち彼以外の全員が大学までで辞めてしまったそうです。

 

逆に、彼だけは社会人になっても、仕事として空手を選び、続けました。新卒1年目の月収は50〜70万円に到達し、ぶっちゃけ勝ちですよね。でも、辞めてしまった人にはもうノーチャンスです。

 

これは、空手だけでなく、ブログ運営でもそうだし、YouTubeでもそう。勉強でさえ当てはまると思います。

※たとえばテニスでいうとフェデラーが2017年(36歳)でまだグランドスラムタイトルをとりましたが、2012年(31歳)で引退していたら、ノーチャンスだったでしょう

 

マジで遊んでなかったらしい

 

大学生とか、ふつうウェイウェイ遊ぶじゃないですか。

僕も多くはなかったですが、学科の同期と自然探索とかして、遊んだこともあります。

 

ただ、彼は高校の時から全く遊んでなかったそうです。

みんなが遊んでようが、昼休みですら食事を授業間に済まし、練習していたとか。

 

そして、彼女は試合3日前からは連絡返さないし、そもそも半年会っていないとか。

そこまでいろんなことを犠牲にして、すべてを空手に捧げる覚悟があったからこそ、同期全員が辞めても彼一人、生き残ったのでしょう。

 

人生ゲームへの真剣さが桁違いですよね。

 

本気で、夢を叶えようとしている

 

ふつうの人は、夢を語りつつも、どこか本気じゃないような感じだったり、あるいは大人になるにつれて夢を語らなくなる人が多いと思います。

 

しかし、彼は中学生の頃も、社会人になった今も、同じように目を大きく見開いて、ありえないような大きい夢を語ってきます。

ありえないような夢ですが、本気で目標達成できると信じているのが伝わってきて、「彼ならできるだろう」と本気で信じられます。

 

それが、中学生の頃は「都道府県大会3連覇」であり、今は「日本一」でした。

 

僕は、彼を信じられます。

彼ほど真っ直ぐな人をほかに見たことがないし、みんなどこかでブレちゃうからです。

「彼にできなかったら、ほかに誰もできないでしょ」、そう思えます。

 

突き抜けた結果、すごいことが起きた

 

僕ら一般人は、彼を何大抵じゃない人のように感じますが、逆に彼は駅のホームですごいことを言いました。

 

「ここら辺の人、正直全員人に見えない」

 

別に、バカにしてるとかじゃなく、本心でしょう。

ただ単に人に言われるがまま他者の価値観で、常識に縛られて、意思決定の舵を周りに任した人だと、こんな強い目はできないはずです。

 

残念ながら、駅のホームでみる仕事帰りのサラリーマンのほとんどは、ギラギラ野望を見据えた目をしていないですよね。

 

 

というわけで、最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございました。

今回の内容は以上になります。

 

「すごい」と感じるだけのオーラを持っている人は、やはりバカにできないだけの努力と経験があり、その行動と経験値の積み上げに裏付けられてその強さが表ににじみ出ているのだと思います。

 

なぁなぁと、他者の足を引っ張ったり、チャラチャラしてきたような人生を歩んでいたら、あそこまで堂々とした、偽りのない目はできません。

 

そんなわけで、せっかくこの記事を読んでくださったあなたも、そんな彼に近づけるように、とmに毎日を積み上げていきましょう。僕も、真剣に人生ゲームに臨みます。