※サムネイル画像は、父親の故郷、宮崎。
KOYA@ソリンドです。
日記が書きたくなったので、無駄なブログ更新をします。
※注意:本記事はただの日記です。有益ではないので、noindexにしてGoogleのクローラーをブロックしています。記事を書いてもブログのドメインパワーUPには貢献しませんが、書きたいので書きます。
記事の流れ
- 大学後半で、大きく人生が変わりました
- 新卒フリーランスもできるのですが、さらなる高みを目指します
- 3年ぶりに、父親と話しました
こんな感じです。
検索順位のつかない記事なので、がんばらずに書きます。
大学後半で、大きく人生が変わりました
ブログに出会ってから、人生が変わりました。
ブログ自体は中学生の頃から書いていました
実は、ブログ自体は中学生〜高校生のころも書いていました。
当時は「yahoo!ブログ」で、無料ブログですね。
もう今やサービス自体がなくなってしまい、消滅しました。
やっぱり、他人のプラットフォームを借りる以上、無料ブログは消える恐れがあるということです。
これからブログを始められるあなたは、ステマなしに、有料ブログがおすすめです。
» WordPress(ブログ)の作り方をわかりやすく解説【真似するだけでOK】
とはいえ、「メダカの飼い方」とか「モンスターハンター(ゲームです)」の記事だったので、まぁどうでもいいです。
ただ、このときにブログを経験していたので、ブログ愛は当時からありました。
ブログで人生を切り開きました
大学3年生の9月に、WordPressにてブログを再開します。
当時は、「アフィリエイトで稼げるのか。ブログ好きだったし、コツコツ作業も得意だし、バイトを排除できるのならやってみようかな」と開始しました。
バイトはスーパーのレジ打ちなり、コンビ二なり、テニススクールを経験したのですが、「言われたことをロボットのようにこなす労働」という感じで、頭を使う機会がなかったです。
結果、「資産にならない労働だな」と思い、マジで辞めたいと思っていました。
貴重な20代という時間をたったの1,000円に変えて、とにかくむなしかったです。
その労働をしても僕の市場価値は高まらないし、どうにかしたかったです。
しかし、家庭に金銭的な余裕はなく、自分のことは自分でするしかない。このジレンマが、僕をブロガーにしました。
「ソリンド」を開始したら、成長しつつ、お金も稼げた
今は本名と同じ「KOYA」という名前で活動しているのですが、最初は身バレが怖かったので、二次元アイコン・匿名で活動を開始しました。
今のブログ名になっている、「thorind(ソリンド)」をハンドルネームにしていたのですが、これは適当です。アベンジャーズのソー(Thor)とスタークインダストリーズ(Stark industries)が好きだったので、そこからとりました。 ※Thor industriesの略
まぁ、それはどうでもいいのですが、thorind tennisという、テニス特化ブログをはじめにつくり、これで月5万円稼げるようになり、バイトを排除しました。
そして、その実績をもとに「大学生からの副業」というテーマで当ブログ(thorind)を作り、コンサルと合わせて月に15万円以上の成果発生を得られるようになりました。
新卒フリーランスもできるのですが、さらなる高みを目指します
現在は月に20万円ほど発生しており、記事装飾やYouTubeの編集といった外注費を除いても手取り月15万円は残ります。
ぶっちゃけ、新卒フリーランスもできるのですが、あえてフリーランスをしない進路にしました。
理由:フリーランスはいつでもなれるから
これは、別の方がうまくまとめてくださったので、ツイート引用します。
今のままだとアウトプットに深みが生まれない
→もっとインプットを得られそうな環境に身を置くって当たり前かもしれないですけど、めちゃくちゃストイック。
フリーランスを視野に入れてる大学生は見るべき。https://t.co/ngflqHKQZ1 pic.twitter.com/Io4LYq5FpG— おかべ@勝てる大学生を増やす (@okabeturedure) March 20, 2020
上記のとおり。
新卒でフリーランスしてもいいのですが、それだと「大学しか経験してない視座」でしか情報発信できないじゃないですか。それじゃあ、コンテンツが薄い。
多くの人の共感を取り、多くの方の支持をもつ。つまり、影響力を拡大していくためには、「社会人層の共感」を撮る必要があります。
それだけではなく、農学部出身の僕は「自然環境保全事業の立ち上げをしたい」という将来の目標があります。
これらがあり、さらにネットは1、2年で時代が変わってしまうことを考えると、「合格していた大学院への進学を辞退して、IT就職する」という意思決定になりました。
詳しくは、下記の記事や動画でお話ししているので、大学生など、気になる方は読んでみてください。
関連記事
» 新卒フリーランスもできるけど、就職に舵をきろうと思います【決意】
関連動画
3年ぶりに、父親と話しました
大学をまもなく卒業し、4月から社会人をするのですが、それに合わせて都心に引っ越ししました。
絶縁していた、親子の仲
僕は、父親と3年間口を聞いていませんでした。
口をきかないどころか、目も合わせてなかったし、一緒にご飯を食べることもありませんでした。
理由は、下記です。
- 勤務先の大手某T社が経営難に陥り、ブラック奴隷労働を強いるようになった
- 父親はその結果、自宅が勤務先から遠いこともあり、「6時出社、2時帰宅」みたいな生活になる
- 精神崩壊し、うつ病認定。しかし、なぜか女遊びを開始。
- 不倫で別宅を何回もつくるし、離婚を切り出すしで、僕が高校生時代は母親はいつも家で泣いていた
- 妹にも「大学に行くなら、キャバクラで働いて学費を稼げ」などと言う
- 「誰のおかげで飯が食えてるんだ」を不倫の言い訳に使う
こういった背景があり、完全に失望し、気づいたら話せなくなっていました。
昔は努力家で、研究熱心な父親を超尊敬していた(父親がいたから僕は空手で東京都強化選手になれたし、妹二人は都大会姉妹優勝を果たせた)だけに、完全に僕の中で人生が変わってしまいました。それくらい、父親が好きでした。
僕は家族を壊されたので、自分ががんばるしかなかった
大学2年生になるころには完全に距離をおいていて、僕は笑えなくなったし、作り笑いしかできなくなっていました。
母親も保険の仕事を始めてくれたものの、ぶっちゃけ低賃金労働で、心身をすり減らして、タバコばかり吸うようになってしまいました。
ここで、僕は現実の厳しさを知りました。
自分自身、バイトしても「時給1,000円」にしかならないし、夜勤を体育会の部活の合間に限界までがんばっても「月10万、かつスキルアップなし」という感じで、ひかえめにいって「人生詰んだ」という状況でした。
「あぁ、そうか。貧乏人には選択権がないんだ」というのが、悲しいけど現実で、そのことを理解しました。
お金があったら、僕の家族は壊されずに済んだし、僕もこんなに苦しまなくて済んだはずです。
門出の際に
そんな家庭状況だったのですが、先日就職に合わせて都心に引っ越ししました。
その際、コロナウイルスの影響でテレワークになっていた父親は、僕に話せないのにも関わらず、一人でスーパーに行き、焼肉を買っていました。
そして、一人で焼肉をして、僕と一緒には食べれないくせに、皿に盛り、それを母親経由で僕にくれました。
悔しいけど、それはメチャウマで、高級肉でした。
これを聞いて、僕はもう涙を抑えられなかったです。なんとか、「ありがとうございます」と小さい声で言えたけど、それが誠意いっぱいで、目もあわせられなかった。
というか、この記事を書きつつ、今思い出して涙と鼻水が止まらない。
あなたのせいで、どれだけ苦しかったか。幸せで平凡な家族でいたかったし、大切な母親を泣かせないでほしかったし、僕ももっとのんきに生きたかった。キャパオーバーに詰め込んで、キツすぎて彼女の前で泣いてしまう自分は、はじめてブログに書くけど、それくらい限界までやっていました。
なので、言うまでもなく、僕よりも辛い経験をして育ってきたはずです。僕はおじいさんをみたことがないけど、父親は彼を恨んでいて、自分はそうならないように「親の務め」は果たした。
「こうやおめでとうな。がんばってな」と言う言葉の裏に、そんな背景があることを思うと、もう、どうにも涙が抑えなれない。
なぜか直接はいえないけど、「親の務め、お疲れ様。ほんとうにありがとう」と思います。くたびれてしまった父親を相手に、そう思いました。
だから、僕は匿名ではなく、親のつけてくれた「こうや(KOYA)」という名前でネットだとしても活動したいし、これからも精一杯生きます。
すみません、マジであなたにとっては無益記事だったのですが、今回は以上です。
ティッシュで涙と鼻水を拭いてきます。
※よかったら、TwitterやYouTubeでも顔出ししつつ発信していますので、フォローいただけたら嬉しいですm(_ _)m